夢と現実の話をしよう

𝑰 𝒄𝒐𝒖𝒍𝒅𝒏’𝒕 𝒃𝒆 𝒉𝒂𝒑𝒑𝒊𝒆𝒓.

私が錦戸亮さんのことを好きになった時のこと

私の私による備忘録

 

私の生活の中で関ジャニ∞という存在を知りメンバーを認識し出したのはちょうど2011年頃。今思えば錦戸さんが関ジャニ∞だけにした頃だったのかなと思います。

当時小学生だった私の周りにはジャニーズを好きな人がたくさんいました。関ジャニ∞のことを好きな人は安田担・丸山担が2人、錦戸担・大倉担が1人いました。その中でも特に錦戸担、大倉担の2人とは毎日のように夜まで遊んで何度も親に怒られたこともありましたしプリクラを初めて撮ったのもその2人でした。その2人がメンバーの名前の漢字やメンバーカラー、誕生日という基本的なことから新旧のシングルやアルバム、など本当に毎日たくさんのことを教えてくれました。EJコースターの話を永遠と一日中された日のことを鮮明に覚えています。なんといっても彼女たちの自担は錦戸さんと大倉さんなのでこの2人の情報は他のメンバーとは比べ物になりませんでした。錦戸さんで言えば1リットルの涙は本当に永遠に泣けると言われてその日の放課後にすぐに錦戸担の家で見ました。全開ガールもたまたま再放送をしていたので毎日録画して帰ったら1番に見て「これが錦戸亮か〜〜」と小学生の時に思ったのを覚えています。私が初めて友達と見た映画は大倉さんのクローバーでしたし、ウォークマンもその2人が容量パンパンまで関ジャニ∞の曲を入れてくれ毎日聞いていました。メンバーの誰かがでているドラマは全て録画し毎週見ていましたし次の日には錦戸担、大倉担とその事についてたくさん話しました。2人に1番かっこいいと思うのどの人?と聞かれて錦戸さんを指さしたこともありました。ここの何行かだけ見ればしっかりオタクですがここまできても特に特別な感覚を抱くことはありませんでした。(毎日聞いていたといってもなぜかその頃の私はTakoyaki in my heart だけを永遠とリピートしてセリフ部分も全部完コピしていました。)

そんな小学校3年生から6年生を過ごして中学に上がる時にその2人と離れてしまうという時はとても悲しかったしとても寂しかったです。

中学に上がると関ジャニ∞を毎日話してくる友達がいなくなったので少し離れつつありました。そして私のここまで生きてきた中で1番だと言ってもいいくらいの不思議な事があれだけドラマも映画も再放送までチェックしていた私は音楽番組を全く見てこなかった人生だったのです。(今考えてもなぜ錦戸担、大倉担が進めてこなかったのか不思議だし本当に早く世界の七不思議に登録したいくらいです。)

しかし、そんな私に転機が訪れました。中学1年の頃夏の暑い日にチャンネルをぽちぽち変えていたら派手な服でワイワイ歌う関ジャニ∞を見つけたのです。初めは「あ〜〜あの2人元気かな?」程度で見ていたのですが気づいたらそんなことを忘れるくらい見入っていて見終わった後には少し心がウキウキしていました。夏なのでたくさんの音楽特番がありました。なので新聞のテレビ欄やテレビの番組表なとで見つけると少し意識するようになりました。すると浴衣を着た関ジャニ∞がカーナビの画面に映っていたのです。衝撃的でした。あの小さい画面でもこの人たちは最高ということを脳が一瞬で察しました。もうそこからはすぐでした。錦戸さんのような濃い顔が好みなのは小学校の頃からのようで自担と呼ばれる人が錦戸さんになったのはもはや決まっていたかのようです。本格的に関ジャニ∞のオタクとなってから小学校3年間

なんで気づかなかったのかとも思いました。しかし、タイミングも全てだと思うので私が出会った時じゃなきゃ今は無かったのかと思います。

 

こんな毎日に色をつけてくれたことも全部全部ここまでの毎日感謝しかないです。これからきっと好きになる人はいても錦戸亮さんのことを嫌いになることはないんだろうなって。